SNSによる自分コモディティ化
ネットの発達でいろんなサービスがコモディティ化した。そしてSNSが確実にライフラインに組み込まれようとしている今、私自身がある意味コモディティ化しているのを感じる。Facebook, Twitterで友達・著名人を含めて、他人の思考・アイディア・生活ぶりなどに簡単にアクセスできるようになったことで、私の思考・感覚がどう変化したかをちょっと考えてみる。
1)SNSにより、明らかに以前よりタイムリーに価値の高い情報にアクセスでき、結果、仕事・普段の生活に大いに役立っている。
2)圧倒的大多数のマスを日常的に意識するようになる。そして自分はそのマスを構成するごく小さな分子、というように自分の存在をより相対的にみるようになった。SNSがもたらすゆるいつながりで、以前にはなかった不思議な連帯感・安心感を持つようになった。
ネット普及前の時代では、実はたいしたことでなくても自分では大層なことを思いついた気になったことが結構あったように思う(あるいは大層邪悪なことを考えているかもとか)。それがSNSによって、自己満足や自己嫌悪に浸る前に、ああこんな優秀なアイディアがすでにあったのねとか、自分の邪悪な考えはまだかわいいもんかもしれない、とかきづかされるようになる。
こんな感じで、とんでもない勘違いなアイディア、思い込みを抱き続けるというのは減ってきていると思うのだが、一方で、そのとんでもない勘違いなアイディアというのは、外部の情報に攪拌されないで熟成させると実はものすごいブレークスルーなアイディアになるのかもしれないと思ったりする。つまり我々自身が、SNSによって良くも悪くもコモディティ化し思考が平均化してしまい、つきぬけ感が少なくなっているような気がするのである。
一方で上で触れたような、SNSによって得られる連帯感・つながり感をベースにして、社会は今新しいベクトルに進んでいるとは思う。 これがSNSがもたらすトレードオフなのかどうかはわからない。 いずれにしてもSNSがあろうがなかろうが関係なく、一部の賢い人々はブレークスルーのアイディアを次々生み出すのは事実であるわけですけど。